偶然在iTunes U里读到一篇日文随笔,永井荷风的钟之声,很喜欢,觉得文章中的对往事的淡淡追忆,是我想要静心去读的。我试着Google中文译本,不过一无所获;可惜我不懂翻译,因此读到日文,只好把原文copy到这里了。文章的最后作者问,能像从前一样,没有什么特别的理由,只是去聆听钟声的人是不是只有他自己了呢?其实我也想过,从前没有Instant Messaging, 没有Smartphones, 车, 长途电话, 信都很慢,是不是一生也只够爱一个人。
鐘の声
永井荷風
住みふるした麻布(あざぶ)の家(いえ)の二階には、どうかすると、鐘の声の聞えてくることがある。
鐘の声は遠過ぎもせず、また近すぎもしない。何か物を考えている時でもそのために妨げ乱されるようなことはない。そのまま考に沈みながら、静に聴いていられる音色(ねいろ)である。また何事をも考えず、つかれてぼんやりしている時には、それがためになお更ぼんやり、夢でも見ているような心持になる。西洋の詩にいう揺籃(ゆりかご)の歌のような、心持のいい柔な響である。
わたくしは響のわたって来る方向から推測して芝山内(しばさんない)の鐘だときめている。
むかし芝の鐘は切通(きりどお)しにあったそうであるが、今はその処(ところ)には見えない。今の鐘は増上寺(ぞうじょうじ)の境内の、どの辺から撞き出されるのか。わたくしはこれを知らない。
わたくしは今の家にはもう二十年近く住んでいる。始めて引越して来たころには、近処の崖下(がけした)には、茅葺(かやぶき)屋根の家が残っていて、昼中(ひるなか)もが鳴いていたほどであったから、鐘の音(ね)も今日よりは、もっと度々聞えていたはずである。しかしいくら思返して見ても、その時分鐘の音に耳をすませて、物思いに耽(ふけ)ったような記憶がない。十年前には鐘の音に耳を澄ますほど、老込(ふけこ)んでしまわなかった故でもあろう。
然(しか)るに震災の後(のち)、いつからともなく鐘の音は、むかし覚えたことのない響を伝えて来るようになった。昨日(きのう)聞いた時のように、今日もまた聞きたいものと、それとなく心待ちに待ちかまえるような事さえあるようになって来たのである。
鐘は昼夜を問わず、時の来(きた)るごとに撞きだされるのは言うまでもない。しかし車の響、風の音、人の声、ラヂオ、飛行機、蓄音器、さまざまの物音に遮(さえぎ)られて、滅多(めった)にわたくしの耳には達しない。
わたくしの家は崖の上に立っている。裏窓から西北の方(かた)に山王(さんのう)と氷川(ひかわ)の森が見えるので、冬の中(うち)西北の富士おろしが吹きつづくと、崖の竹藪や庭の樹(き)が物すごく騒ぎ立てる。窓の戸のみならず家屋を揺り動すこともある。季節と共に風の向も変って、春から夏になると、鄰近処(となりきんじょ)の家の戸や窓があけ放されるので、東南から吹いて来る風につれ、四方に湧起るラヂオの響は、朝早くから夜も初更(しょこう)に至る頃まで、わたくしの家を包囲する。これがために鐘の声は一時(ひとしきり)全く忘れられてしまったようになるが、する中(うち)に、また突然何かの拍子にわたくしを驚すのである。
この年月(としつき)の経験で、鐘の声が最もわたくしを喜ばすのは、二、三日荒れに荒れた木枯(こがら)しが、短い冬の日のあわただしく暮れると共に、ぱったり吹きやんで、寒い夜が一層寒く、一層静になったように思われる時、つけたばかりの燈火の下(もと)に、独り夕餉(ゆうげ)の箸(はし)を取上げる途端(とたん)、コーンとはっきり最初の一撞(ひとつ)きが耳元(みみもと)にきこえてくる時である。驚いて箸を持ったまま、思わず音のする彼方(かなた)を見返ると、底びかりのする神秘な夜の空に、宵(よい)の明星(みょうじょう)のかげが、たった一ツさびし気(げ)に浮いているのが見える。枯れた樹の梢に三日月のかかっているのを見ることもある。
やがて日の長くなることが、やや際立(きわだ)って知られる暮れがた。昼は既に尽きながら、まだ夜にはなりきらない頃、読むことにも書くことにも倦(う)み果てて、これから燈火(あかり)のつく夜になっても、何をしようという目当も楽しみもないというような時、ふと耳にする鐘の音(ね)は、机に頬杖をつく肱(ひじ)のしびれにさえ心付かぬほど、埒(らち)もないむかしの思出に人をいざなうことがある。死んだ友達の遺著など、あわてて取出し、夜のふけわたるまで読み耽けるのも、こんな時である。
若葉の茂りに庭のみならず、家の窓もまた薄暗く、殊に糠雨(ぬかあめ)の雫(しずく)が葉末から音もなく滴(したた)る昼過ぎ。いつもより一層遠く柔に聞えて来る鐘の声は、鈴木春信(すずきはるのぶ)の古き版画の色と線とから感じられるような、疲労と倦怠とを思わせるが、これに反して秋も末近く、一宵(ひとよさ)ごとにその力を増すような西風に、とぎれて聞える鐘の声は屈原(くつげん)が『楚辞(そじ)』にもたとえたい。
昭和七年の夏よりこの方(かた)、世のありさまの変るにつれて、鐘の声もまたわたくしには明治の世にはおぼえた事のない響を伝えるようになった。それは忍辱(にんにく)と諦悟(ていご)の道を説く静なささやきである。
西行も、芭蕉も、ピエール・ロチも、ラフカヂオ・ハアンも、各(おのおの)その生涯の或時代において、この響、この声、この囁(ささや)きに、深く心を澄まし耳を傾けた。しかし歴史はいまだかつて、如何なる人の伝記についても、殷々(いんいん)たる鐘の声が奮闘勇躍の気勢を揚げさせたことを説いていない。時勢の変転して行く不可解の力は、天変地妖の力にも優っている。仏教の形式と、仏僧の生活とは既に変じて、芭蕉やハアン等が仏寺の鐘を聴いた時の如くではない。僧が夜半に起きて鐘をつく習慣さえ、いつまで昔のままにつづくものであろう。
たまたま鐘の声を耳にする時、わたくしは何の理由もなく、むかしの人々と同じような心持で、鐘の声を聴く最後の一人ではないかというような心細い気がしてならない……。
昭和十一年三月
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